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2019年11月8日金曜日

大澤通⑦

江戸時代末期の修験の道として絵図に描かれている大澤通り(おおさわとおり)。(→大澤通りの概要はこちら
大澤通を下記のルートとして、1泊2日で通して歩いてみた。

一不動 → 花川本谷上部を下降 → 1683m岩峰を経て → 裾花川地獄谷上部 → 乙妻山

こんな感じで、沢以外は藪漕ぎ
高妻山(戸隠裏山)大澤通

2019年9月2日月曜日

「大澤通り」探し⑥(乙妻山)

日程:2019年9月1日(日)曇り、一人

ルート:戸隠牧場5:20-高妻山8:30-乙妻山9:20-2100m岩壁10:30-戸隠牧場16:45

江戸時代の修験者が通った大澤通しを探しに乙妻山へ。

何となく通過地点が分かってきて、最終目的地探しに紫円周辺へ。

「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。

どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、「十万八千佛曼荼羅御岩」を通って、高妻山の先の「小池弁財天」より奥にある「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。

→千丈滝・大澤通りについて

絵図の目指している「虚空蔵前立」の横のコルに「小池弁財天」とあるので、今の十二大日の看板よりは奥の山頂と思われる。

正直、現地に行って、これが「十万八千佛曼荼羅御岩」かなと同定するのは無理だろう。

そもそも、絵図に山の一部のように描かれた「大日如来」って何だろう。

一番現実的なのは、「大日拝礼」とある拝礼するのようなところを探すくらいか。まずは、小池のあるコルを通って、2318mの乙妻山へ。

根曲がり竹の藪がひどいが、少し下りると、登山体系にあるウロコ状のスラブにでる。

2100m岩壁の基部まで下りて、横へ横へと何かないか探す。

窟もないし、何か掘ったような痕跡もないし、岩に何か刻まれてもないし、もちろん人工物もない。周辺を写真にとるが、気になるような場所は余りない。

岩壁を見上げても、「大日如来」には見えないし、目立つような拝礼場所も分からない。

しいて言えば、「十万八千佛曼荼羅御岩」はたくさんの仏さんがいる曼荼羅岩だろう。 ウロコ状のスラブが、たくさんの仏に見えなくもないし、珍しい地形ではある。

急傾斜のスラブ地形が150m以上続いているが、全然すべらないので普通に登れると思われる。

ところで、乙妻山へ登り返すときの藪漕ぎはひどかった。背丈以上の根曲がり竹?か、弾力があって滑るし、全然進まないし、その状態が30分以上続いた。

この藪は――。

戸隠神社奥社の随神門の手前右手に石碑がある。「大澤通刈分」と書かれており、草を刈り分けてして道を作った的な意味らしい。

乙妻山への登りのうんざりする藪を草刈りするのは相当な重労働だけど、刈って道を完成させてました記念碑は分かるような気がする。

まあ、何も見つけれなかったし、決め手がないなーというのが行ってみた感想。

2019年8月12日月曜日

「大澤通り」探し⑤(地獄谷二俣)

かつてあった修験者の道「大澤通り」を探しに裾花川の地獄谷に行った。

「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。

どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、

絵図の中ほどで「前タキ」を通り、左に「二重タキ」、右に「百丈御瀧」「学問岩穴」があり、左に「二重タキ」を迂回しながら通過している。

→千丈滝・大澤通りについて

地獄谷の地形図には、滝の後に二俣となり、左俣、右俣両方に滝がある地形がある。

右俣に岩穴があれば、「学問岩穴」ということに。。

アプローチは奥裾花渓谷から、裾花川を遡行。

地獄谷を遡行し、一枚岩の地形が続くつきあたりに滝がある。

つきあたりの滝。「前タキ」かな。

滝を越えるとすぐに二俣。右に岩壁の一部と滝のすじが見える。左もすぐに滝がある。

右俣の滝。「百丈御瀧」?

学問岩穴

滝の基部に岩穴があった。

写真撮ってもらった。

岩穴は崩れやすい岩質。人工物なし。高さ3m、奥行き2m、幅4mくらい。床、天井は斜め。

岩穴の中から。

左俣の滝。「二重タキ」?二段の滝というよりは、多段になっているけど。。

大澤通はこの辺を通るということでいいような気がするが、それを示す人工物はなかった。

こんな感じだろうか。

2019年5月13日月曜日

「大澤通り」探し④高妻山-乙妻山

ルート:戸隠牧場5:35-高妻山8:55-乙妻山-1700m岩壁11:00高妻山-戸隠牧場18:10

メンバー:1名

裾花川地獄谷の支流で「大澤通り」の痕跡を探しへ。

「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。

どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、高妻山の先の「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。

→千丈滝・大澤通りについて

「虚空蔵前立」が今のどこなのか分からないので――、

①乙妻山の西側2044mピーク

②今の乙妻山(虚空蔵の石祠あり)

を「虚空蔵前立」と予想して、周辺の岩場に窟や拝礼岩のような大岩、山が「大日如来」に見えないかを探りに行った。今回は、乙妻山の西側2044mピークの緑円の周辺を散策。

まずは高妻山を登る。

乙妻山の西側2044mピークから続く尾根上の1911mピーク直下にある白岩をめざす。この白岩が「大日如来」だといいな。

途中に大岩があって、穴もあったけど自然な岩穴で何もなし。

2044mに突き上げる沢。左手は岩壁で上部に滝が見えた。

この沢は雪の通り道のようで、雪が滑って植物を削っていくのか、焼け野原のように何も生えていない。こんなところには何もなさそう。

目的の1700mの岩壁。雪で埋まっててよく分からない。右には滝。

右の滝。雪の下にも続いていて15m以上はありそう。

周辺に岩場が続いているが、人が掘ったような跡はなし。

白岩。ここから見るといまいちな感じ。

少し斜め上からみた白岩。どう見ても「大日如来」には見えてこない。窟もないし、拝礼岩のようなものも分からない。

仕方ないので戻る。また乙妻山、高妻山まで登り返す。せっかくなので、高妻山山頂の傍らにある青銅鏡をよく見てきた。

この青銅鏡は・・・、

文久2年(1862)に修験者 佛心らが奉納したもので、高さは2m以上、重さ40㎏以上あるとのこと。佛心の他、支援者であろう人々の名前と村の名前、鋳物師名や執筆者名なども刻まれていて、すごくお金もかかってそう。

手前にある石祠は延享二年(1745)、手洗鉢は寛永八年(1631)とのこと。手前の割れた手洗鉢はすごく古い。。

乙妻山は遠いし、何も見当たらないし。。

2018年11月19日月曜日

「千丈滝」「大澤通り」探し③(戸隠)

日程:2018年11月18日(日)

ルート:戸隠牧場6:45 - 一不動 - 裾花川本谷 - 滝10:30 - 窟11:15 - 一不動 - 戸隠牧場15:00

メンバー:2名(山岳会)

かつて戸隠にあった「大澤通り」と「千丈滝(千丈大瀧)」を探しに、裾花川の枝沢へ3回目の訪問。

回峯行場絵図の序盤に描かれている「千丈大瀧」が分かれば、「大澤通り」も見えてくるかも―。 ということで前回、滝の上から見た枝沢左俣の大滝をちゃんと確認しに緑円辺りへ向かった。

「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。

佛心は「大澤通り」で修行を成し遂げて、先達の称号を受けて「回峯行場絵図(1862)」を描いている。 絵図の序盤には、修行の行場であろう「千丈大瀧」と「白澤御岩穴」が出てくる。

→千丈滝・大澤通りについて

岩峰のある枝沢までは前回、前々回と同じ道のり。今回は左俣の地形図の地図マークを目指す。

1683m峰を見上げる。

途中、右岸に大きな岩あり。基部が平らのためか、ここで幕営したようでゴミが散乱していた。 何だか大事な岩陰の気がするが。。

左岸に柱状節理みたいなものあり。

千丈滝(千丈大滝)?

この谷間の先に、前回滝の上から見た地形図の滝マークの大滝がある。

滝はかなり大きめで、50〜60mくらい。この山域ではかなり大きい部類に入る。

滝つぼは庭園のように石がぽつんと。

滝からは戸隠の山が見える。

滝の少し左上の谷筋に洞穴があった。横幅は5mくらいだが、中はエスカレーターぐらいの傾斜。 雨宿りはできるが、寝るには壁にもたれかかる感じでとても寝れなそう。人工物なし。

ところで、回峯行場絵図には「千丈大瀧」近くに「白澤御岩穴」が描かれている。 白澤(しらさわ)だから白い岩場で洞穴を探していたが、どうも白澤(はくたく)と読むらしい。

白澤(はくたく)とは…

…なんだかよく分からないが、「白澤」「戸隠」で検索すると白澤避怪図などが出てくる。 麒麟や鳳凰と同じように、中国の聖獣のことらしい。

石碑のある窟

滝の向かいには1683m峰の大岩壁があり、基部を散策。

岩場の基部に沿って歩くと、窟と石碑があった。

石碑は、一番上に少し文字がかすれてしまっているが、「大澤通」と書かれている。 なので、少なくとも「大澤通り」はこの地点を通ると思われる。 先ほどの大滝が「千丈滝(千丈大滝)」ということかな。

近所の図書館で調べると、松代周辺で明治9年までになくなっている村の名もあるので、それよりは古い石碑なのだろう。

戸隠の石碑がいろいろと載っている『上水内郡裏山中四ケ村金石文(1937)』、 『戸隠村に於ける金石文(1937)』、 『戸隠村の石造文化財(2004)』には載っていなかった。

大澤通り探しの続きは、ここまでは日帰りで来れるが、この先地獄谷につなげるとなると、泊まりでないと厳しいか。。