2020年8月16日日曜日

戸隠道③(芋井-豊岡経由)

戸隠道は戸隠神社(近世までは戸隠山顕光寺)につながる道の総称であり、代表的な道は善光寺から戸隠神社までの表参道で大きく三筋がある。(→戸隠道について

 ①善光寺-湯福神社-七曲り-大座法師池-一ノ鳥居-戸隠神社
 ②善光寺-静松寺-芋井-一ノ鳥居-戸隠神社
 ③善光寺-静松寺-芋井-銚子口-戸隠神社

今回は分割して、③善光寺-静松寺-芋井-銚子口-尾上-戸隠を歩いてみた。

資料として、明治初期の村絵図を頼りに、旧芋井村(明治初期:富田村→上ヶ屋村→廣瀬村→入山村)→旧戸隠村(明治初期:豊岡村→戸隠村)と歩き、下記のポイントを確認した。

・戸隠道の当時の道をたどる
 →明治初期の村絵図に太ラインで戸隠道が描かれている部分がある
・戸隠道(②と③)の分岐点について
 →歴史の道調査報告(長野県教育委員会編:1982)は富田村の桜となっているが、鑪の三面観音とも書いている。
・銚子口から尾上の道について
 →豊岡村絵図には、銚子口から尾上に抜ける道がない。

————が、歩いてみると、いずれもよく分からず、戸隠への信仰の道というよりは、各村の道をつなげば戸隠へも行けるといったニュアンスなのでしょうか。

善光寺の仁王門から始まり、静松寺を通り、富田村へ。鑪の三面観音までは、前回と同じルート。(→戸隠道②(芋井-軍足経由)

富田村:~三面観音・道標~狢郷路山の下~

富田村絵図は、今の地形図と合致する道が多くみられる。戸隠道③ルートに近い道は黄色点線になるが、強調した太線で描かれておらず、よく分からない。
鑪の三面観音に道標があり、「左 入山村 右 戸隠山」とある。現在は三差路だが、富田村絵図は4差路に見え、北に進む道のところにこの道標があれば②③の分岐点としてつじつまが合うが、入山村への道はもうない。

狢郷路山の下側を進み上ヶ屋村に行くルートとなるが、実際に歩くとなると、里道はよく分からないので県道76号をそのままたどり、狢郷路山の上側の上ヶ屋バス停となる。

高台にお堂があり、十三仏がある神社マークのところ。


体育館前を通っての狢郷路山の下の道は通行止め中。

上ヶ屋のバス停があり、県道の分岐となる。

上ヶ屋村:~池平~諏訪社~

上ヶ屋村絵図では、池平を抜けて山側に諏訪社を見ながら、沢を渡ると廣瀬村となる。この諏訪社のところで道が二筋に分かれ、上の道を進むと廣瀬村新屋に至る。

実際に歩くとなると、県道76号をそのままたどるので、池平、諏訪社は通らず、新屋に至る。


廣瀬村:~新屋~扇平~沢浦~

廣瀬村絵図では、新屋、扇平、沢浦と抜けて、入山村へ至る。

実際に歩くと、県道76号をそのままたどり、新屋、扇平、沢浦を通る。

入山村:~影山~秋葉社~

入山村絵図では、影山を抜け、秋葉社の下側を通って山道を進み、官有林を抜けて、豊岡村の銚子口あたりに抜ける。

実際に歩くと、県道76号をそのままたどり、影山を抜け、秋葉社の下側を通り銚子口へ。

豊岡村:銚子口~南原~和沢口~馬場~尾上~戸隠村へ至る

明治初期の豊岡村絵図では、銚子口→中村→馬場→尾上と抜ける道はない。

①大頭山の南側→尾上→戸隠村とたどるか
②銚子口→南原→和沢口→馬場→尾上→戸隠村とたどるか、

この辺りは道標が多く残されており、要所の道標を絵図に重ねるとこんな感じか。ちょっと場所は推測になるけど。。青四角は今もある石の道標。


①大頭山の南側→尾上→戸隠村
絵図には道はないが、実際に銚子口から県道76号をそのままたどり、中村→馬場まで歩くとこんな感じ。銚子口の交差点とバス停はトイレ付き。

ずっと進んで、途中開墾記念碑などを見ながら、上野中村バス停、トイレ付きを経て馬場に至る。

②銚子口→南原→和沢口→馬場→尾上→戸隠村
絵図の通りに銚子口を通る道はかなり南を経由して大回りになる。銚子口交差点から西南西方向の東原、南原へ進み、南部大橋を渡って、上楡木→和沢口→馬場→尾上を通り、戸隠村へ至る。

南原神社には筆塚など石造物も置かれていた。

南部大橋を渡り、横道の交差点を和沢口方面へ進むと古宮神社。
支所前のバス停には道標。トイレと自販機などもあり。

馬場への通りをすすむと石造物群。

その中の供養塔にも「左 とがくしみち 右 やま・・」とある。
尾上の分岐の石造物群。ちょっと読みにくいが、「とがくしみち」とある。


西岳~本院岳、戸隠山がよく見える。

石造物街道といっても良いくらい多い。馬頭観音。

あとは橋供養塔の分岐を通って、もう戸隠に到着となる。

下の図の戸隠道③(黄緑色の線)が今回のルートになる。


2020年8月14日金曜日

戸隠道②(芋井-軍足経由)

「戸隠道」の中で善光寺から戸隠神社まで参道は三筋あり、

①善光寺-湯福神社-七曲り-大座法師池-一ノ鳥居-戸隠神社
②善光寺-静松寺-芋井-一ノ鳥居-戸隠神社
③善光寺-静松寺-芋井-銚子口-戸隠神社

となっている。

②善光寺-静松寺-芋井-一ノ鳥居の芋井経由の道を明治初期の村絵図と照らし合わせつつ、歩いてみた。

長野町:善光寺~越村へ

善光寺の仁王門を出発。西に進むと桜枝町で善光寺七池のひとつ来間池(くるまいけ)がある。そのまま町を西に抜けて越村へ。

腰村:~瓜割清水~茂菅村へ

(→越村全図:明治初期)

越村絵図は分かりやすく、真ん中の通りを西に進み、茂菅村へと進む。北側にある緑の空間は郷路山(ごうろやま)で参道の敷石は郷路山産の安山岩らしい。(→善光寺石畳について

右手に戸隠古道の入口が出てくる。道路から外れて山道へと進むと瓜割清水がある。


さらに進むと石造物がいくつかまとまって置かれており、この辺りから本格的な山道となり、茂菅村へと続く。

茂菅村:~静松寺~富田村へ

(→茂菅村(図):明治初期)

茂菅村絵図は、道がシンプルであり、西へと続く山道をたどる。

静松寺への参道沿いに三十三ヶ所巡拝塔(石仏)がある。今でも二十五体ほど残されており、一つひとつに案内の看板もある。

静松寺。この石段も寄進したのも、善光寺参道の敷石(7,777枚らしい)の一部を寄進した人同じとのこと。このまま道路沿いに進むと富田村へと至る。


富田村:三面観音~道祖神~天神~上ヶ屋村へ


富田村の地図は、道の微妙な屈折まで描かれていて、正しいかは分からないが、今の地形図と合致する里道が多数あるが、天神社などはなぜか記載が抜けている。

富田村の北部にも七曲りからの戸隠道があり、これを戸隠街道と表記し、絵図に紫線で追記した道は戸隠道と思われるが上ヶ屋村街道と表記されている。

静松寺からの山道を下ってくると三差路に至り、三面観音と道標がある。三面観音はかつて約30mほど山側にあったそうなので、戸隠道は今の道よりもう少し山側なのだろう。道標は「左 入山村 右 戸隠山」とあり、絵図では北に進む道が右と左に分かれており、この分岐にあったのだろうか。。



芋井は天空の里という感じで、段々畑と景色がとても◎。南信の下栗に行ったことはないけど。。

絵図通りの道は里道で私有地かもしれないので、一般道路沿いに進む。右手に道祖神と中部北陸自然歩道の案内板がある。

中部北陸自然歩道も「戸隠古道をたずねるみち」となっているが、なぜかここで歴史の道百選「戸隠道」と別のルートをたどる。「戸隠道」は一般道路沿いを、中部北陸自然歩道は道路から外れてこの案内板をたどって行く。

絵図には出てこないが古そうな天神社。この裏の道をたどり、上ヶ屋村へ続く。


上ヶ屋村:~石仏群~伊勢神社~一ノ鳥居

上ヶ屋村の地図は、道が真っすぐに描かれているが、実際は山間部のため、真っすぐは歩けない。

ただ、平をはさむように2本の沢が流れており、下流から上流へ進むときに右岸→左岸→沢の分岐と道が描かれていて、中部北陸自然歩道も同じように歩いている。戸隠道は戸隠中路と表記されている。

中部北陸自然歩道の案内板に従って進むと、りんご畑の間を抜ける。

道路に合流し、正面の階段を進む。ご丁寧に案内版に書いてある。ここで一般道路沿いに来た歴史の道「戸隠道」と合流する。


道路に合流して進むと、左手の畑奥に石仏が20ほどある。そこから2、3分歩くと隠滝不動尊で大分下ると滝が見えてくる。



隠滝不動尊を過ぎ、道路沿いに進むと、軍足地区となり伊勢神社がある。ここから中部北陸自然歩道は沢沿いに真っすぐ進ぶが、歴史の道百選の戸隠道は左に曲がり、廣瀬村へ続く。


中部北陸自然歩道の案内板に従って直進すると、途中で左手に道路から外れて山道となる。

中部北陸自然歩道は飯綱の別荘エリアを抜けて、七曲りからの戸隠道と合流する。絵図はこのあたりの麓原野の縮尺が曖昧。白ぬきの囲いは一ノ倉池とのことなので、こんなルート取りだろうか。左上の神社マークは飯縄山山頂(本宮)?
道路に合流後は、このまま七曲りからの戸隠道をたどり、一ノ鳥居へ至る。

歴史の道百選の戸隠道を進む場合は、軍足地区の伊勢神社を左に行き廣瀬村へ進む。

廣瀬村:~軍足池~入会原野~(地図なし)~豊岡村へ

(→広瀬村図:明治初期)

廣瀬村の絵図は上部の境目がよく分からない。入会原野となって地図がないのか、上ヶ屋村のざっくりとした飯縄山の麓原野に含まれているのか、いずれにしても一ノ鳥居まで少し空白区間がある感じ。戸隠道は戸隠街道と表記されている。



歴史の道百選の戸隠道に従って、軍足地区の伊勢神社の南を左に曲がると、石造物が多数あり、真っすぐ行くと広瀬ふれあい公園に行きつく。


戸隠道はどこかで北西方向に続くようだが、道路ではなく田んぼ道であり、どこから私有地か分からないのでこのあたりでやめる。

歴史の道調査報告(長野県教育委員会編:1982)によると、林を抜けると飯綱の別荘エリアと一本松があり、その後は長野カントリーの敷地となり、かつては一ノ鳥居辺りに続いていたのだろうが、道はここで消えてしまう。


豊岡村:~(地図なし)~一ノ鳥居

(→豊岡村(図):明治初期)

上ヶ屋村の軍足地区で、環境省の中部北陸自然歩道の「戸隠古道をたずねるみち」は北へ、文化庁の歴史の道百選の「戸隠道」は北西へルートをとる。

いずれの道も豊岡村の境である一ノ鳥居から大久保の茶屋あたりに至り、合流することになる。ここから戸隠神社中社へは、よく整備・管理された「戸隠道」を丁石をたどっていける。
一ノ鳥居跡。1847年に倒れた石の鳥居が今もそのまま。
かつて鳥居があった場所。この道が戸隠神社宝光社、中社、奥社へと続く。


下の図の戸隠道②(紫の線)が今回のルートになる。