2019年11月24日日曜日

乙妻山の先の道(戸隠)

乙妻山の先の2261m峰にロープの残骸があった。

ここは地形図では道が続いているが、下草が刈られておらず、藪道で行く人もない。なのに赤丸のところにロープが・・・。

高妻山から見た景色。右が乙妻山、左が2261m峰でその先が岩場になっている。

そこに残されていた朽ちたロープ。

そのあたりは岩場となっている。

夏は誰も行かないけど、春山だと乙妻山~2261m峰~2044m峰~堂津岳をスキーで行く人もいるみたいとなっている。

調べてみると昭和53年10月14日(土)~20日(金)に第33回国民体育大会山岳競技があり、戸隠山系で行われた。

監督1名、選手3名で実施、種目は縦走2回、踏査、登攀を4日間で。
青年男子だと、
縦走A1 上楠川‐(4:45)-P1-(3:00)-八方睨-(1:15)-一不動-(1:00)-戸隠牧場 合計10時間
縦走A2 戸隠牧場-(1:30)-一不動-(1:00)-五地蔵山-(1:30)-高妻山-(1:00)-乙妻山-(2:30)-合ノ峰-(2:30)-奥裾花キャンプ場 合計10時間

どうも国体のために乙妻山-合ノ峰--奥裾花ルートを切り開いたようで、10月で天気が悪い日もあり、しっかりロープを張ったとのこと。その後は結局藪にもどって、ロープもそのままなのかな。

ちなみにコースタイムが随分遅いなと思った。例えば、戸隠牧場から一不動まで1時間30分となっている。—が、よくよく報告書を読んだら、1パーティー3人で55kg以上荷物を持つみたいな、重量の規定があったようで、一人18kg以上は背負わされて競技したみいた。それは大変。

とりあえず、乙妻山の先に大澤通り関連の石碑があったりしないかなと思ったが、かつて人が入って登山道を作っていたなら、何かあれば本とかに載っていそうだけど見かけないから、ないか。。

2019年11月11日月曜日

一不動の石塔(戸隠)

高妻山の登山道、避難小屋がある一不動の看板のところにて。

「あれ?」この先端が尖った石造ってなんだっけ・・と思い、調べてみた。

高妻山は、戸隠裏山十三仏というのが残されており、

一不動(不動明王)、二釈迦(釈迦如来)、三文殊・・・と1745年の年号が刻まれている石の祠がある。
一不動の石の祠は残念ながら失われており、看板だけになっている。

その左横の尖がった石造物は何か?

実はかつて、この辺には「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」と梵字が刻まれた石造物があったが、藪に埋もれてしまい行方不明と本に書かれてあった。

なので、ここを通る度に、行方不明の石造物がどこかにないかなーとキョロキョロと探していたが、どうやらこれがその「ア・ビ・ラ・ウン・ケン」の石造物で、誰かが見つけてここに置いたようだった。

いつ見つけたのか調べてみた。

 2004年 戸隠村の石造文化財→行方不明と記載あり
 2009年 妙高高原山岳会(最終号)→見当たらないとの記載あり
 2015年 高妻山の誰かのヤマレコ(7月)→写真ではなさそうだがよく見えない
 2015年 高妻山の誰かのヤマレコ(8月)→写真に写っている

その後もネットで調べていたら、戸隠登山ガイド組合の記事で2014年に見つけたと記載あり。なので、2015年に登山道の整備や草刈りと一緒に一不動に置いたのでしょう。見つかってよかったですね。

四普賢(1745年)の石の祠もそうだが、この十数年で雪に流されたのか、なくなっている。詳細に調べていたはずの文化財が、自分たちの代でなくなるのは何だか残念。

笠谷の播隆上人の石仏は、レプリカを山中に置いて、オリジナルは屋内にある。
お金と労力がかかるが、何か対策はないものか・・

2019年11月8日金曜日

大澤通⑦

江戸時代末期の修験の道として絵図に描かれている大澤通り(おおさわとおり)。(→大澤通りの概要はこちら
大澤通を下記のルートとして、1泊2日で通して歩いてみた。

一不動 → 花川本谷上部を下降 → 1683m岩峰を経て → 裾花川地獄谷上部 → 乙妻山

こんな感じで、沢以外は藪漕ぎ
高妻山(戸隠裏山)大澤通