2021年3月29日月曜日

三十三窟の考察④(西窟と鎖)

戸隠神社奥社裏から登山道沿いに進むと西窟(さいくつ)という岩屋がある。特に登山道沿いに案内板などがある訳でもないので、何だか分からず素通りしてしまうけど、鏡池から戸隠山を撮影して西窟全体を拡大すると、岩壁に洞穴があって木製の拝殿が見える。(→西窟の訪問記録はこちら
この西窟は上の窟、中の窟と下の窟と分かれており、下の窟には 野池一派の明治八年の石祠が1基置かれている。
鏡池から見える拝殿は中の窟にあり、姫野師らの拝殿と昭和16年の石祠(金剛蔵王)が1基、丸彫りの石造物が3体(左から役行者、秋葉三尺坊、学問行者)置かれている。
この中の窟へ行くには、岩壁に設置された鎖をたよりに10mほどの垂壁を登る。その際に鎖に全体重をかけるようになるが、この鎖は大分古そう・・・。
鎖には奉納した人が刻まれた金属板が一緒に添えられているが、「越後国 高田住・・・・文政7年」とあり、1824年ということは設置されてから200年近くということになる。金属板だけが当時のものという可能性もあるが、錆具合と色合いは鎖と同じで、しかも鎖と一体化しているので同年代製な感じ。

実は、鏡池から行ける不動窟の上にも同じような鎖が設置されている。

こちらは金属板に年代は刻まれてないが、鎖の構造は西窟のものとよく似ている。戸隠神社に奉納されている明治八年の戸隠表山御神窟之図にこの鎖は描かれているそうで、この辺りは登山道もないし、誰かが鎖の管理をしていて、近年付け替えたっていうことはちょっと考えられないので、これは当時のままと思われる。
どちらも似たような鎖ということは、やはり200年前に設置されたままのものと考えられる。何だか西窟の中の窟に登るときは鎖をたよりにしない方が良さそう。

(→西窟の訪問動画はこちら
(→鏡池奥の鎖の訪問動画はこちら