2018年8月17日金曜日

戸隠村絵図の千丈滝と大澤通り探し

長野県に関する明治初期の資料に「長野縣町村誌」というのがある。

内容は村ごとに、人口、地名、境目、産業、名所など、細かく書かれており、村内にある滝についても名前と高さ、幅など記載がある。活字だけだと昔の資料なので、どこのことか分からないことも多いが、実は対となる絵図(長野縣町村繪地図鑑)があり、それと合わせてみると、昔はこんなのがあったのか~と暇つぶしに楽しめる。

その中で、戸隠村の滝の項に、黒滝、百丈滝、千丈滝など記載があり、絵図にも滝が描かれている。一方で現在の地図にはどの滝も出てこないから、どこにあったかはもう分からなくなった感じ。。

特に千丈滝は、絵図の高妻山の南斜面にポツンと描かれており、よく分からないが、その名の通り、当時から何かしらの特に目立つ大きな滝があったのだろうと、どこかにあるのか調べてみた。

千丈滝に関する情報としては、

①長野縣町村誌:戸隠村の滝の項目に千丈滝の記載あり。
②回峯行場絵図(1862年):戸隠の修験者が描いた絵図。大澤通りという修験者の道の道中の岩山手前にある。千丈大瀧と記載。
③戸隠百首:千丈の滝を詠んだ句がある。位置情報はなし。(インターネットより)
戸隠村之図(長野縣町村繪地図鑑:明治10年前後):高妻山の南斜面に描かれている。一不動から裾花川に下り、乙妻山に至る道も描かれており、これは大澤通りと思われる。
水内郡戸隠村図(明治8年):上記と同じような絵図。

場所のヒントとして、大澤通りという修験者の道が出てきた。


大澤通りとは・・・

佛心という修験者が三十三回の入峯修行を行った道のこと。佛心は文久二年(1862年)に高妻山の山頂へ神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行を成し遂げて先達の称号を受けて、その際に回峯行場絵図を描いたとのこと。(戸隠神社青龍殿 案内より)


大澤通りが分かれば、千丈滝(千丈大瀧)も分かりそうだが、現在は廃道で大澤通りも場所が不明の様子。回峯行場絵図はこんな感じ。(戸隠信仰の世界より)


ただ、回峯行場絵図には、今の戸隠牧場から一不動を経て、高妻山に登る道も描かれていて、途中の水場や滝の名前は今と同じで、絵図がすごく正確に描かれて印象。なので、大澤通りの道もすごく正確と考えて予想すると、こんな感じになった。

滝を探す方法としては、

・地形図を見て、滝マークを探す
・インターネットで沢の遡行記録を検索して、それっぽい滝を探す
・Googleマップの航空写真で滝っぽいものがないか見る
・図書館の戸隠関連の資料(地質調査など)を見る
などしてみると、

遡行記録は探している範囲のは見当たらず、Googleマップは樹木が多くて滝のようなものは探せなかった。——が、「戸隠 総合学術調査報告(1971)」という本の地質学調査の項に、昭和39年頃の調査で「・・裾花川支流S3沢右俣の奥で、・・戸隠山地では最も落差の大きいものの一つ・・」として滝の写真が出ていた。地形図にもその辺りに滝マークがあり、ここに千丈滝はありそうかも。あれば、大澤通りもこの辺りを通っていたことになる。