2020年8月9日日曜日

戸隠道(戸隠古道)について

戸隠道は戸隠神社(近世までは戸隠山顕光寺)につながる道の総称であり、代表的な道は善光寺から戸隠神社までの表参道で、大きく三筋がある。主な分岐点には道標が置かれ、一ノ鳥居からは丁石も設置されている。

善光寺から戸隠神社までの三筋とは、

戸隠道①:善光寺-湯福神社-七曲り-飯縄神社-大座法師池-一ノ鳥居-戸隠神社

戸隠道②:善光寺-静松寺-上ヶ屋(軍足)-一ノ鳥居-戸隠神社

戸隠道③:善光寺-静松寺-廣瀬-入山-豊岡(銚子口)-豊岡(上野)-戸隠神社

戸隠道は文化庁の歴史の道百選に選定されている。歴史の道とは1970年代に旧街道の保全・整備目的で文化庁がとった事業で、各県で歴史の道調査報告書出され、長野県版では戸隠道についても調査されている。


図に戸隠道の三筋が載っており、オレンジ線はかつての様子をとどめた選定箇所になっている。赤丸は今も残っている道標(石標)、青ラインはかつての古道としては残っていない道。

戸隠道①:善光寺-湯福神社-七曲り-飯縄神社-大座法師池-一ノ鳥居-戸隠神社

古道の要所に多くの道標が残されており、一ノ鳥居からは丁石も置かれて、戸隠へと続く主たる参道と思われる。全国の飯縄の総社である飯縄神社がある荒安からバードラインに並行して古道が整備され、戸隠神社までかつての道をたどることができる。

また、かつては十軒ちかくあった茶屋のうち、大久保の茶屋が今も蕎麦屋として営業している。

戸隠道②:善光寺-静松寺-上ヶ屋(軍足)-一ノ鳥居-戸隠神社

歴史の道調査報告書に詳しく記載があり、善光寺~静松寺は多くの石造物が残されている。ただ古道は上ヶ屋の軍足地区あたりから曖昧となり、環境省の中部北陸自然歩道「戸隠古道をたずねるみち」は大座法師池の先辺りで戸隠道①と合流、文化庁の歴史の道百選「戸隠道」は今は道はないが長野カントリーを突き抜けて、一ノ鳥居あたりで戸隠道①と合流する道としている。

戸隠道③:善光寺-静松寺-廣瀬-入山-豊岡(銚子口)-豊岡(上野)-戸隠神社

歴史の道調査報告書では未確認となっており、戸隠道②の途中で分岐して、廣瀬、入山、銚子口、馬場、尾上と進み、戸隠へ至るとなっている。

戸隠道②と戸隠道③については、古道というよりは生活としての道だろうし、地元の方なら旧道はどこの道かなど分かるのだろうが、本を頼りにたどろうとすると意外に不明瞭なことが多く、よく分からない。

山道の難所には馬頭観音があったりするが、色々な事情で場所が移されたりして、道を歩いていると石造物が1ヶ所に集められている場所も見かける。

参考資料:長野縣町村誌と村図

善光寺から戸隠まで、明治初期の戸隠道は下記の村を通る。

戸隠道①:長野町-富田村-上ヶ屋村-豊岡村-戸隠村

戸隠道②:長野町-腰村-茂菅村-富田村-上ヶ屋村-(廣瀬村)-豊岡村-戸隠村

戸隠道③:長野町-腰村-茂菅村-富田村-上ヶ屋村-廣瀬村-入山村-豊岡村-戸隠村


かつての古道の様子を知る資料として、明治初期の長野縣町村誌とそれに対応する村図がある。村図内には、道の名称が記載されており、村ごとに道をつないでいくと、大まかだが戸隠道が見えてくる。 明治初期の村図は信州デジタルコモンズで自由に見ることができる。
村図例:富田村(村内には三筋の戸隠道が通るが、飯縄神社を経る道のみ戸隠道と記載)

色々な資料を参考にして、それぞれの道を歩いてみた。

参考資料 
1)芋井の石造文化財
2)戸隠村の石造文化財
3)歴史の道調査報告書
4)長野縣町村誌
5)むしくら 虫倉山系総合調査研究報告
6)戸隠 総合学術調査報告
7)長野市の石造文化財
8)古道を歩く 戸隠神社五社めぐり
9)長野 長野郷土史研究会