戸隠道は戸隠神社(近世までは戸隠山顕光寺)につながる道の総称であり、代表的な道は善光寺から戸隠神社までの表参道で大きく三筋がある。(→戸隠道について)
①善光寺-湯福神社-七曲り-大座法師池-一ノ鳥居-戸隠神社
②善光寺-静松寺-芋井-一ノ鳥居-戸隠神社
③善光寺-静松寺-芋井-銚子口-戸隠神社
今回は分割して、③善光寺-静松寺-芋井-銚子口-尾上-戸隠を歩いてみた。
資料として、明治初期の村絵図を頼りに、旧芋井村(明治初期:富田村→上ヶ屋村→廣瀬村→入山村)→旧戸隠村(明治初期:豊岡村→戸隠村)と歩き、下記のポイントを確認した。
・戸隠道の当時の道をたどる
→明治初期の村絵図に太ラインで戸隠道が描かれている部分がある
・戸隠道(②と③)の分岐点について
→歴史の道調査報告(長野県教育委員会編:1982)は富田村の桜となっているが、鑪の三面観音とも書いている。
・銚子口から尾上の道について
→豊岡村絵図には、銚子口から尾上に抜ける道がない。
————が、歩いてみると、いずれもよく分からず、戸隠への信仰の道というよりは、各村の道をつなげば戸隠へも行けるといったニュアンスなのでしょうか。
善光寺の仁王門から始まり、静松寺を通り、富田村へ。鑪の三面観音までは、前回と同じルート。(→戸隠道②(芋井-軍足経由))
富田村:~三面観音・道標~狢郷路山の下~
富田村絵図は、今の地形図と合致する道が多くみられる。戸隠道③ルートに近い道は黄色点線になるが、強調した太線で描かれておらず、よく分からない。
鑪の三面観音に道標があり、「左 入山村 右 戸隠山」とある。現在は三差路だが、富田村絵図は4差路に見え、北に進む道のところにこの道標があれば②③の分岐点としてつじつまが合うが、入山村への道はもうない。
狢郷路山の下側を進み上ヶ屋村に行くルートとなるが、実際に歩くとなると、里道はよく分からないので県道76号をそのままたどり、狢郷路山の上側の上ヶ屋バス停となる。
高台にお堂があり、十三仏がある神社マークのところ。
体育館前を通っての狢郷路山の下の道は通行止め中。
上ヶ屋のバス停があり、県道の分岐となる。
上ヶ屋村:~池平~諏訪社~
上ヶ屋村絵図では、池平を抜けて山側に諏訪社を見ながら、沢を渡ると廣瀬村となる。この諏訪社のところで道が二筋に分かれ、上の道を進むと廣瀬村新屋に至る。
実際に歩くとなると、県道76号をそのままたどるので、池平、諏訪社は通らず、新屋に至る。
廣瀬村:~新屋~扇平~沢浦~
廣瀬村絵図では、新屋、扇平、沢浦と抜けて、入山村へ至る。
実際に歩くと、県道76号をそのままたどり、新屋、扇平、沢浦を通る。
入山村:~影山~秋葉社~
入山村絵図では、影山を抜け、秋葉社の下側を通って山道を進み、官有林を抜けて、豊岡村の銚子口あたりに抜ける。
実際に歩くと、県道76号をそのままたどり、影山を抜け、秋葉社の下側を通り銚子口へ。
豊岡村:銚子口~南原~和沢口~馬場~尾上~戸隠村へ至る
明治初期の豊岡村絵図では、銚子口→中村→馬場→尾上と抜ける道はない。
①大頭山の南側→尾上→戸隠村とたどるか
②銚子口→南原→和沢口→馬場→尾上→戸隠村とたどるか、
②銚子口→南原→和沢口→馬場→尾上→戸隠村とたどるか、
①大頭山の南側→尾上→戸隠村
絵図には道はないが、実際に銚子口から県道76号をそのままたどり、中村→馬場まで歩くとこんな感じ。銚子口の交差点とバス停はトイレ付き。
ずっと進んで、途中開墾記念碑などを見ながら、上野中村バス停、トイレ付きを経て馬場に至る。
②銚子口→南原→和沢口→馬場→尾上→戸隠村
絵図の通りに銚子口を通る道はかなり南を経由して大回りになる。銚子口交差点から西南西方向の東原、南原へ進み、南部大橋を渡って、上楡木→和沢口→馬場→尾上を通り、戸隠村へ至る。
南原神社には筆塚など石造物も置かれていた。
南部大橋を渡り、横道の交差点を和沢口方面へ進むと古宮神社。
支所前のバス停には道標。トイレと自販機などもあり。
馬場への通りをすすむと石造物群。
その中の供養塔にも「左 とがくしみち 右 やま・・」とある。
尾上の分岐の石造物群。ちょっと読みにくいが、「とがくしみち」とある。
あとは橋供養塔の分岐を通って、もう戸隠に到着となる。
下の図の戸隠道③(黄緑色の線)が今回のルートになる。