2020年8月14日金曜日

戸隠道②(芋井-軍足経由)

「戸隠道」の中で善光寺から戸隠神社まで参道は三筋あり、

①善光寺-湯福神社-七曲り-大座法師池-一ノ鳥居-戸隠神社
②善光寺-静松寺-芋井-一ノ鳥居-戸隠神社
③善光寺-静松寺-芋井-銚子口-戸隠神社

となっている。

②善光寺-静松寺-芋井-一ノ鳥居の芋井経由の道を明治初期の村絵図と照らし合わせつつ、歩いてみた。

長野町:善光寺~越村へ

善光寺の仁王門を出発。西に進むと桜枝町で善光寺七池のひとつ来間池(くるまいけ)がある。そのまま町を西に抜けて越村へ。

腰村:~瓜割清水~茂菅村へ

(→越村全図:明治初期)

越村絵図は分かりやすく、真ん中の通りを西に進み、茂菅村へと進む。北側にある緑の空間は郷路山(ごうろやま)で参道の敷石は郷路山産の安山岩らしい。(→善光寺石畳について

右手に戸隠古道の入口が出てくる。道路から外れて山道へと進むと瓜割清水がある。


さらに進むと石造物がいくつかまとまって置かれており、この辺りから本格的な山道となり、茂菅村へと続く。

茂菅村:~静松寺~富田村へ

(→茂菅村(図):明治初期)

茂菅村絵図は、道がシンプルであり、西へと続く山道をたどる。

静松寺への参道沿いに三十三ヶ所巡拝塔(石仏)がある。今でも二十五体ほど残されており、一つひとつに案内の看板もある。

静松寺。この石段も寄進したのも、善光寺参道の敷石(7,777枚らしい)の一部を寄進した人同じとのこと。このまま道路沿いに進むと富田村へと至る。


富田村:三面観音~道祖神~天神~上ヶ屋村へ


富田村の地図は、道の微妙な屈折まで描かれていて、正しいかは分からないが、今の地形図と合致する里道が多数あるが、天神社などはなぜか記載が抜けている。

富田村の北部にも七曲りからの戸隠道があり、これを戸隠街道と表記し、絵図に紫線で追記した道は戸隠道と思われるが上ヶ屋村街道と表記されている。

静松寺からの山道を下ってくると三差路に至り、三面観音と道標がある。三面観音はかつて約30mほど山側にあったそうなので、戸隠道は今の道よりもう少し山側なのだろう。道標は「左 入山村 右 戸隠山」とあり、絵図では北に進む道が右と左に分かれており、この分岐にあったのだろうか。。



芋井は天空の里という感じで、段々畑と景色がとても◎。南信の下栗に行ったことはないけど。。

絵図通りの道は里道で私有地かもしれないので、一般道路沿いに進む。右手に道祖神と中部北陸自然歩道の案内板がある。

中部北陸自然歩道も「戸隠古道をたずねるみち」となっているが、なぜかここで歴史の道百選「戸隠道」と別のルートをたどる。「戸隠道」は一般道路沿いを、中部北陸自然歩道は道路から外れてこの案内板をたどって行く。

絵図には出てこないが古そうな天神社。この裏の道をたどり、上ヶ屋村へ続く。


上ヶ屋村:~石仏群~伊勢神社~一ノ鳥居

上ヶ屋村の地図は、道が真っすぐに描かれているが、実際は山間部のため、真っすぐは歩けない。

ただ、平をはさむように2本の沢が流れており、下流から上流へ進むときに右岸→左岸→沢の分岐と道が描かれていて、中部北陸自然歩道も同じように歩いている。戸隠道は戸隠中路と表記されている。

中部北陸自然歩道の案内板に従って進むと、りんご畑の間を抜ける。

道路に合流し、正面の階段を進む。ご丁寧に案内版に書いてある。ここで一般道路沿いに来た歴史の道「戸隠道」と合流する。


道路に合流して進むと、左手の畑奥に石仏が20ほどある。そこから2、3分歩くと隠滝不動尊で大分下ると滝が見えてくる。



隠滝不動尊を過ぎ、道路沿いに進むと、軍足地区となり伊勢神社がある。ここから中部北陸自然歩道は沢沿いに真っすぐ進ぶが、歴史の道百選の戸隠道は左に曲がり、廣瀬村へ続く。


中部北陸自然歩道の案内板に従って直進すると、途中で左手に道路から外れて山道となる。

中部北陸自然歩道は飯綱の別荘エリアを抜けて、七曲りからの戸隠道と合流する。絵図はこのあたりの麓原野の縮尺が曖昧。白ぬきの囲いは一ノ倉池とのことなので、こんなルート取りだろうか。左上の神社マークは飯縄山山頂(本宮)?
道路に合流後は、このまま七曲りからの戸隠道をたどり、一ノ鳥居へ至る。

歴史の道百選の戸隠道を進む場合は、軍足地区の伊勢神社を左に行き廣瀬村へ進む。

廣瀬村:~軍足池~入会原野~(地図なし)~豊岡村へ

(→広瀬村図:明治初期)

廣瀬村の絵図は上部の境目がよく分からない。入会原野となって地図がないのか、上ヶ屋村のざっくりとした飯縄山の麓原野に含まれているのか、いずれにしても一ノ鳥居まで少し空白区間がある感じ。戸隠道は戸隠街道と表記されている。



歴史の道百選の戸隠道に従って、軍足地区の伊勢神社の南を左に曲がると、石造物が多数あり、真っすぐ行くと広瀬ふれあい公園に行きつく。


戸隠道はどこかで北西方向に続くようだが、道路ではなく田んぼ道であり、どこから私有地か分からないのでこのあたりでやめる。

歴史の道調査報告(長野県教育委員会編:1982)によると、林を抜けると飯綱の別荘エリアと一本松があり、その後は長野カントリーの敷地となり、かつては一ノ鳥居辺りに続いていたのだろうが、道はここで消えてしまう。


豊岡村:~(地図なし)~一ノ鳥居

(→豊岡村(図):明治初期)

上ヶ屋村の軍足地区で、環境省の中部北陸自然歩道の「戸隠古道をたずねるみち」は北へ、文化庁の歴史の道百選の「戸隠道」は北西へルートをとる。

いずれの道も豊岡村の境である一ノ鳥居から大久保の茶屋あたりに至り、合流することになる。ここから戸隠神社中社へは、よく整備・管理された「戸隠道」を丁石をたどっていける。
一ノ鳥居跡。1847年に倒れた石の鳥居が今もそのまま。
かつて鳥居があった場所。この道が戸隠神社宝光社、中社、奥社へと続く。


下の図の戸隠道②(紫の線)が今回のルートになる。