2020年9月2日水曜日

乙妻山で礼拝岩探し

百名山の高妻山とその奥にある乙妻山は、むかし戸隠信仰の対象で、今も登山道沿いに延享二年(1745)と刻まれた十三仏の祠などがある。

乙妻山の先には両界山、両界曼陀羅があって、これら一帯が戸隠裏山と呼ばれ、戸隠の霊場を形成していた。江戸時代の戸隠の絵図には、高妻山を下るとある小池に十三仏の大日(十二)、その奥に十三仏の虚空蔵(十三)があり、その先に両界山、両界曼陀羅がある。

この両界山、両界曼陀羅はどこのことか――、

 江戸時代の高妻山、乙妻山の様子が描かれた書物を抜粋するとこんな感じ。以下、戸隠神社宝物館HPから、文字を少し修正したり。。
  
礼磐石(大日の側にあり)虚空蔵までは行き難し
此所にて谷を隔てて八尺の圓鏡曼陀羅岩を拝む(礼盤石にて行止りなり)
善光寺道名所図会 嘉永二年(1849)

其地はがい岸さがしく人の通路なし谷を隔て大日の礼磐と云所へ上りて詣づ
信濃奇勝録 天保五年(1834)

これらから、両界山、両界曼陀羅のヒントを抜粋すると、  

 ・虚空蔵(十三仏の虚空蔵(十三)、今の乙妻山)までは行くのが難しい  
 ・礼盤石から谷を隔てて曼陀羅岩を拝み、礼磐石で行き止まり  
 ・礼磐石は大日の側にあり 

という感じで、要は十三仏の虚空蔵(十三)までは行けず、小池の近くにある十三仏の大日(十二)の近くの礼磐石から、両界山、両界曼陀羅を拝む という解釈になるが、そもそもの十三仏の大日(十二)は今は看板のみで、礼磐石もどこにあるかは分からないし、虚空蔵まで行けないというのも意味が分からない。

昔と今では乙妻山の位置が違うようだが、学術書では今の乙妻山の先の2261m峰の南側岩壁を指すのでは、と書かれていたりする。 

とりあえず、8月に2回、礼盤石(礼拝石 or 礼拝岩)を探しに行った。が、結局は、よく分からなかった――。。

8/8 戸隠牧場5:45-高妻山8:35-乙妻山9:05-岩稜散策-乙妻山9:45-13:00牧場
8/29 戸隠牧場5:50-高妻山8:50-乙妻山9:30-小ピーク-乙妻山11:00-14:45牧場

まずは、高妻山に登って、乙妻山に向かう。右のピークが乙妻山、左に見える岩壁が乙妻山の先の2261m峰の南側岩壁。これを拝めて、その先が行き止まりのような場所。

乙妻山と小池。写真では何もないが、鞍部なので5月とかに行くと池がある。6月、7月の様子は知らないが、ここが小池でかつて弁天があって、江戸時代の絵図には十三仏の大日(十二)と描かれ、今は大日(十二)の看板のみがある。



乙妻山。十三仏の虚空蔵(十三)の石祠がある。山頂に登ってしまうと、乙妻山の先の2261m峰の南側岩壁は全く見えなくなる。なので、左端のちょっとコブになった小ピーク(2260m)へ行ってみる。写真は去年秋。

この小ピーク(2260m)はなだらかで、行き止まりとは言えなそうに見えるが、反対側からみると大岩壁になって、スパッと切り落ちている。去年の秋、地獄谷より。

乙妻山から小ピーク(2260m)へ下りる。背丈以上の藪がひどい。乙妻山と小ピーク(2260m)の間にある鞍部。何だか、獣道なのか、ふみ跡あり。微妙な角度で乙妻山の先の2261m南側岩壁が見える。もう少し正面から拝めそうな場所の方へ。。


鞍部から3分ほどで小ピーク(2260m)。藪をかき分けるが、ただ草が生えているだけ。

とりあえず、藪を漕いで行き止まりといえる崖まで行きたかったが、どんどん標高を下げて進む感じで、先がどうなっているか分からない藪を無計画に下るのはこわくて、途中でやめた。藪がひどく、この辺りから対岸の岩壁を見ることはできない。

礼拝の岩どころか、岩自体も少なめの藪だった。よく分からないが、もう少し藪がうすい時期じゃないと・・。