乙妻山の先の2261m峰にロープの残骸があった。
ここは地形図では道が続いているが、下草が刈られておらず、藪道で行く人もない。なのに赤丸のところにロープが・・・。
高妻山から見た景色。右が乙妻山、左が2261m峰でその先が岩場になっている。
そこに残されていた朽ちたロープ。
そのあたりは岩場となっている。
夏は誰も行かないけど、春山だと乙妻山~2261m峰~2044m峰~堂津岳をスキーで行く人もいるみたいとなっている。
調べてみると昭和53年10月14日(土)~20日(金)に第33回国民体育大会山岳競技があり、戸隠山系で行われた。
監督1名、選手3名で実施、種目は縦走2回、踏査、登攀を4日間で。
青年男子だと、
縦走A1 上楠川‐(4:45)-P1-(3:00)-八方睨-(1:15)-一不動-(1:00)-戸隠牧場 合計10時間
縦走A2 戸隠牧場-(1:30)-一不動-(1:00)-五地蔵山-(1:30)-高妻山-(1:00)-乙妻山-(2:30)-合ノ峰-(2:30)-奥裾花キャンプ場 合計10時間
どうも国体のために乙妻山-合ノ峰--奥裾花ルートを切り開いたようで、10月で天気が悪い日もあり、しっかりロープを張ったとのこと。その後は結局藪にもどって、ロープもそのままなのかな。
ちなみにコースタイムが随分遅いなと思った。例えば、戸隠牧場から一不動まで1時間30分となっている。—が、よくよく報告書を読んだら、1パーティー3人で55kg以上荷物を持つみたいな、重量の規定があったようで、一人18kg以上は背負わされて競技したみいた。それは大変。
とりあえず、乙妻山の先に大澤通り関連の石碑があったりしないかなと思ったが、かつて人が入って登山道を作っていたなら、何かあれば本とかに載っていそうだけど見かけないから、ないか。。