日程:2019年9月1日(日)曇り、一人
ルート:戸隠牧場5:20-高妻山8:30-乙妻山9:20-2100m岩壁10:30-戸隠牧場16:45
ルート:戸隠牧場5:20-高妻山8:30-乙妻山9:20-2100m岩壁10:30-戸隠牧場16:45
江戸時代の修験者が通った大澤通しを探しに乙妻山へ。
「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。
どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、「十万八千佛曼荼羅御岩」を通って、高妻山の先の「小池弁財天」より奥にある「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。→千丈滝・大澤通りについて
どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、「十万八千佛曼荼羅御岩」を通って、高妻山の先の「小池弁財天」より奥にある「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。→千丈滝・大澤通りについて
絵図の目指している「虚空蔵前立」の横のコルに「小池弁財天」とあるので、今の十二大日の看板よりは奥の山頂と思われる。
正直、現地に行って、これが「十万八千佛曼荼羅御岩」かなと同定するのは無理だろう。
そもそも、絵図に山の一部のように描かれた「大日如来」って何だろう。
一番現実的なのは、「大日拝礼」とある拝礼するのようなところを探すくらいか。
まずは、小池のあるコルを通って、2318mの乙妻山へ。4人組Pと少し会話。
根曲がり竹の藪がひどいが、少し下りると、登山体系にあるウロコ状のスラブにでる。
2100m岩壁の基部まで下りて、横へ横へと何かないか探す。
窟もないし、何か掘ったような痕跡もないし、岩に何か刻まれてもないし、もちろん人工物もない。周辺を写真にとるが、気になるような場所は余りない。
岩壁を見上げても、「大日如来」には見えないし、目立つような拝礼場所も分からない。
しいて言えば、「十万八千佛曼荼羅御岩」はたくさんの仏さんがいる曼荼羅岩だろう。
急傾斜のスラブ地形が150m以上続いているが、全然すべらないので普通に登れると思われる。
ところで、乙妻山へ登り返すときの藪漕ぎはひどかった。背丈以上の根曲がり竹?か、弾力があって滑るし、全然進まないし、その状態が30分以上続いた。
この藪は――。
戸隠神社奥社の随神門の手前右手に石碑がある。「大澤通刈分」と書かれており、草を刈り分けてして道を作った的な意味らしい。乙妻山への登りのうんざりする藪を草刈りするのは相当な重労働だけど、刈って道を完成させてました記念碑は分かるような気がする。
戸隠神社奥社の随神門の手前右手に石碑がある。「大澤通刈分」と書かれており、草を刈り分けてして道を作った的な意味らしい。乙妻山への登りのうんざりする藪を草刈りするのは相当な重労働だけど、刈って道を完成させてました記念碑は分かるような気がする。
まあ、何も見つけれなかったし、決め手がないなーというのが行ってみた感想。