2021年4月16日金曜日

笠谷の一里塚①

1824年(文政7年)に播隆上人の一行が笹島から笠ヶ岳山頂までの九里八丁に置いた一里塚の石仏。未確認の五里、六里、七里の石仏が見つかれば、当時の登拝路が見えてくる。

日時:2021年4月11日・2人
ルート:笠谷林道-横平(4体目)-笠谷・鍋谷出合-セ畑(3体目)-笠谷林道

雪が融けて、藪がまだ横になっているであろう4月に、既知の播隆上人の石仏を見に行った。笠谷煙滝谷林道を進み、まずは横平の4体目の石仏へ向かう。

横平(4体目)

錫杖林道を進み、ヒアケ谷を過ぎると木々にテープが巻いてあった。5分ほど下ると大きな木がある空間に至り、岩場に石仏が置かれている。
4体目は笠谷の河原からはかなり離れて場所に位置していて、ここから高巻きをする、またはヒノキ尾根-南西尾根へとルートを取ると思えなくもない。
その後、ハチガ尻またはハチガ尾と思われる場所から笠谷・鍋谷の出合周辺で5体目の石仏を探してみた。ハチガ尻は斜面が大きく崩れており、気になるものは何もなかった。

セ畑(3体目)

林道から笠谷の本流近くまでかなり下ると3体目の石仏があった。レプリカのはずだが、苔が生え、岩の上に馴染んでいた。

これら3体目、4体目の石仏は、飛騨山岳会の元田貞男氏が見つけたもの。昭和34年頃から取り組みはじめて、昭和51年~52年にかけてやっと見つけたとのことであった。これらの石仏は現在、高山市の史跡に指定されて上宝ふるさと歴史館に移され、現地にはレプリカが置かれている。

その後、その先のハチガ尻に5体目がある可能性が高いとのことで、上宝村役場の音頭で大勢で探したが見つからず。また、元田氏は笠新道から登って雷鳥尾根を下りながら石仏を探したが何もなかったとのこと。