2026年8月12日水曜日

リトル比良の遺構めぐり

滋賀県の高島市の山に通っている。比良山地の中でもマイナーなリトル比良の北端、湖岸-見張山-鳥越峰-岩阿沙利山の一帯。

ここに何があって、何に興味をひかれるのかというとー。

歴史的な背景がある山

そもそもここは歴史的に色々あった山域のようで、山裾には打下古墳など多くの古墳があり、壬申の乱の際には三尾の城という山城があったかもで、中世には長法寺が存在し、その後には打下城などの山城も作られたり。

もちろん、長法寺跡では多くの調査が行われて、すでにその報告書はあるし、打下城跡も打下古墳も同様。一方で、山中に土橋や堀みたいなものが見られるが、三尾の城跡とは言い切れず、こっちは要再調査に留めているように見受けられる。

そんな遺跡の分布図は、高島市文化財調査報告書第1集(2005)、高島市文化財保存活用地域計画(2021)に掲載されている。一部違いがみられ、下図の灰色の75(三尾山遺跡)、76(旧郡界堀切遺跡)、82(見張山遺跡)は、もう少し調査が必要なのか、2021年のものでは省かれている。


鵜川の山を歩く意義

まず山中を歩いていて、上記以外の未知の何か遺跡があれば嬉しい。何も見当たらなくても山中には道の痕跡、石切りの痕跡や炭焼窯跡が多数見られ、たまに石造物も転がっていたりして、なぜここにと想像をかき立てられる。

また、山を囲む各地区では中世よりの境争論が多々あり、それに関する絵図、古文書などが伝わっている。それに関係するのか、山中には今でも境界を示す打下山、鵜川山などの看板、古くからの地名と思われる下の鼻打など看板、岩の名称と思われる馬の足などの看板がある。

鵜川の山中に分け入ると見られる人々の生活の痕跡や看板が立つ地名や岩を調べることは、この山にある遺跡や地元に伝わる絵図・古文書・伝承の理解を深めることに繋がる。

リトル比良の遺構めぐりテーマ

山中で見かけ、疑問にを持ったことを図書館で調べていく。また、絵図・郷土資料などから知られていない事をテーマにして、山中を歩き回ってみる。

対象は高島市鵜川なので鵜川の山としているが、その中には鵜川山、打下山、国有林、白鬚神社の山とがある。また、高島市鵜川と近接している鹿ヶ瀬、伊黒(高島)、拝戸、音羽の地区の山も含んでいる。

テーマ
①鵜川の山中にある境界の看板、地名の看板は何なのか
山中にある鵜川山・打下山の看板の境界を歩き、打下区の地名・岩の看板と鵜川山裁許絵図、千石組絵図の地名・岩の名前の関係を調べた記録(→こちら)

②比良庄絵図の郡堺畳石探し
中世の境争論で描かれた絵図に境界の目印として郡堺畳石がある。その大岩を探した記録(→こちら)

③ろくさん石切り場はどこか
鵜川の山中に「ろくさん石切り場→」と書かれた看板があり、石切り場を探した記録(→こちら)

④絵図にある鵜川の石切谷
鵜川村の絵図にある石切谷を訪ね、京都の大仏殿の敷石との関係を調べた記録(→こちら)

⑤鵜川の棚田の分水
鵜川山裁許絵図にある鵜川の棚田へと向かう不思議な水の流れを訪ねた記録(→こちら)

この山域の登山道は少し荒れており、特に6月~9月は蒸し暑く、クモの巣だらけだけど、岩場からみる琵琶湖はとてもきれいで棚田もすばらしく、歴史もあって素敵な山と思う。
<参考資料>
・高島町史(1983)
・滋賀県中世城郭分布調査8(1991)
・中近世古道調査報告書8 西近江路(2005)
・高島市文化財保存活用地域計画(2021)
・中世荘園絵図大成(1997)
・湖西の古絵図(1981)
・古絵図が語る大津の歴史(2000)
・高島市文化財調査報告書第1集(2005)