2019年9月17日火曜日
登山に必要な栄養とカロリー
戸隠山の信仰遺構ガイド
長野市の北部にあるちょっと標高の高いところで、春は雪解けの自然園で水芭蕉が見られて、夏は百名山の高妻山や岩々の戸隠山に登れて、秋は鏡池の紅葉を見て新そばを食べられて、冬は飯綱山でスキーをして森をスノーシューで散策できて、そして戸隠神社があるところ。
縁起によると学問行者が修験を始めた842年頃が戸隠寺(奥院)の起源で、その後に宝光院(1058年)、中院(1087年)が開かれた。明治になり神仏分離により、寺を廃して、奥社・中社・宝光社となり、今に至る。』
絵図に描かれた江戸期の戸隠
善光寺から戸隠へ至る戸隠道
戸隠表山三十三窟
戸隠裏山十三仏・大澤通り
絵図の左上の戸隠裏山には、十三の仏が描かれているが、これらは戸隠裏山十三仏といい、今も高妻山・乙妻山登山道沿いに十三の石祠の一部が残されている。
西岳の霊窟群
2019年9月16日月曜日
西岳霊窟探し⑥(西岳沢)
日程:2019年9月15日(日)、晴れのち曇り
ルート:西岳登山口8:00-西岳沢-本院岳ジャンダルム基部12:00-登山口16:00
本院岳・西岳~一夜山にかけてには、かつて戸隠修験の霊場だったが、1500年代頃には廃れてしまったとのこと。人知れず石仏や石祠などが山中に残されていないか、霊場であったであろう窟探し。
いつも気になっていた本院岳の1836m峰(ジャンダルム)の南西岩壁の基部に行ってみた。
写真の右の岩峰が1836m峰、左のピークが本院岳あたり。
上から見下ろすと、1836m峰の岩壁基部に洞穴があるように見える。
まずは西岳登山口から沢沿いに西岳沢を遡行し、途中から枝沢に入り、1836m峰方向へ。
途中で稜線から場所を確認したら、崖の上で丁度真下だったので50mロープいっぱいで下降。
本院岳ダイレクト尾根の過去の記事に大伽藍のような地形とあったが、確かに周囲を岩壁で囲まれ、正面の岩壁も覆いかぶさるような感じ。
早速、基部の洞穴のようなところへ行ったが、実際はちょっと窪んだ岩陰程度で想像と違った。
こちらから見ると洞穴には見えなかった。
周囲には岩場が続いており、他にもちょっとした洞穴のような形状もあるが、そんな大きくもない。
反対側の岩壁にも洞穴のような場所があり。
景色もよく、とてもいい感じの場所だった。ちなみに修験者がここで修行してました的なものは何も見かけず。そもそも、ここへロープ使ってきちゃったし。。
西岳霊窟群の窟探し⑦ →本院岳の黒滝周辺で窟探しへ
2019年9月2日月曜日
「大澤通り」探し⑥(乙妻山)
日程:2019年9月1日(日)曇り、一人
ルート:戸隠牧場5:20-高妻山8:30-乙妻山9:20-2100m岩壁10:30-戸隠牧場16:45
江戸時代の修験者が通った大澤通しを探しに乙妻山へ。
何となく通過地点が分かってきて、最終目的地探しに紫円周辺へ。
「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。
どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、「十万八千佛曼荼羅御岩」を通って、高妻山の先の「小池弁財天」より奥にある「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。
絵図の目指している「虚空蔵前立」の横のコルに「小池弁財天」とあるので、今の十二大日の看板よりは奥の山頂と思われる。
正直、現地に行って、これが「十万八千佛曼荼羅御岩」かなと同定するのは無理だろう。
そもそも、絵図に山の一部のように描かれた「大日如来」って何だろう。
一番現実的なのは、「大日拝礼」とある拝礼するのようなところを探すくらいか。まずは、小池のあるコルを通って、2318mの乙妻山へ。
根曲がり竹の藪がひどいが、少し下りると、登山体系にあるウロコ状のスラブにでる。
2100m岩壁の基部まで下りて、横へ横へと何かないか探す。
窟もないし、何か掘ったような痕跡もないし、岩に何か刻まれてもないし、もちろん人工物もない。周辺を写真にとるが、気になるような場所は余りない。
岩壁を見上げても、「大日如来」には見えないし、目立つような拝礼場所も分からない。
しいて言えば、「十万八千佛曼荼羅御岩」はたくさんの仏さんがいる曼荼羅岩だろう。 ウロコ状のスラブが、たくさんの仏に見えなくもないし、珍しい地形ではある。
急傾斜のスラブ地形が150m以上続いているが、全然すべらないので普通に登れると思われる。
ところで、乙妻山へ登り返すときの藪漕ぎはひどかった。背丈以上の根曲がり竹?か、弾力があって滑るし、全然進まないし、その状態が30分以上続いた。
この藪は――。
戸隠神社奥社の随神門の手前右手に石碑がある。「大澤通刈分」と書かれており、草を刈り分けてして道を作った的な意味らしい。
乙妻山への登りのうんざりする藪を草刈りするのは相当な重労働だけど、刈って道を完成させてました記念碑は分かるような気がする。
まあ、何も見つけれなかったし、決め手がないなーというのが行ってみた感想。