滋賀県大津市にある葛川明王院は、比叡山無動寺の奥院。貞観元年(859年)に相応和尚が明王谷の三ノ滝で修行をしていると不動明王が現れ、それに抱きついたところ桂の霊木だった。そこから木像を彫り、安置したのが始まりとのこと。
文保2年(1318年)に描かれた葛川明王院の絵図には、中央を流れる川の上部に朱色で「三瀧」と書かれた滝が描かれている。
「葛川明王院:葛川谷の歴史と環境(1960)」によると、相応和尚伝では一ノ滝で千手観音を感得し、二ノ滝で毘沙門天が顕れ、三ノ滝に籠ってはじめて不動明王を感得した。その三尊を桂の霊木で彫ったのが、いまの明王院の三尊であるとのこと。
また、霊木から三体の不動明王を彫り、無動寺、葛川明王院、伊崎寺に安置したという別の説話もあり、その奥に懸る十九の滝は不動明王眷属の十九童子にかたどられ、渓谷は神聖視されてきたとのこと。
葛川明王院を起点として、一ノ滝、二ノ滝、三ノ滝と不動明王に関わる説話がある明王谷、それに続き十九童子になぞらえた十九の滝がある奥ノ深谷を遡行してみた。百名谷として知られているルートなので、当然、新規性は何もない。
また、霊木から三体の不動明王を彫り、無動寺、葛川明王院、伊崎寺に安置したという別の説話もあり、その奥に懸る十九の滝は不動明王眷属の十九童子にかたどられ、渓谷は神聖視されてきたとのこと。
葛川明王院を起点として、一ノ滝、二ノ滝、三ノ滝と不動明王に関わる説話がある明王谷、それに続き十九童子になぞらえた十九の滝がある奥ノ深谷を遡行してみた。百名谷として知られているルートなので、当然、新規性は何もない。
明王谷・奥ノ深谷の遡行
林道を5分くらい進むと明王谷と接するのでそこで入渓。百名谷や古い登山案内だと一ノ滝の記載があるが、遡行していても一ノ滝らしきものは見当たらない。堰堤が作られており、この辺りにあったのでしょうか。。
少し進むと大きな釜をもった二ノ滝。
ここは左岸の草付きを丁寧に巻くと、濡れずに抜けられる。
三ノ滝
両岸が狭まってゴルジュ様になってくる先に大きな滝。この三ノ滝で相応和尚が厳しい修行をしていると、滝つぼに不動明王が現れ、飛び込んで抱きついたところ桂の霊木であったとのこと。
三ノ滝を過ぎると奥ノ深谷となる。ほとんどの滝が巻けて、きれいな渓相と滝が続く。
帰りに葛川明王院に立ち寄ってみた。今も天台宗回峰行者の参籠の霊場であり、7月には行者が坂本から花折峠を越えて葛川に入り、5日間修行をするそうで、その間に相応和尚の三ノ滝の言い伝えにちなんだ太鼓廻しも行われるそうです。