2021年2月22日月曜日

七曲りの馬頭観音はどこに①

長野市の善光寺から戸隠へ向かう途中にカーブが連続する急坂がある。
スノーシェッドに覆われた片側1車線の狭い県道で、七曲りと呼ばれている。

その七曲りを長野(善光寺)側から進入し、カーブを3回曲がったところに馬頭観音の案内板がある。
この馬頭観音とは・・・?

この辺りはかつて戸隠神社(江戸時代までは戸隠顕光寺)への参詣道で、また物資の運搬等で人馬が往来した道であり、交通の難所だったので人馬の安全、供養で祀られた石仏が今もいくつか残されている。

案内板の馬頭観音もそんな一つであるが、石仏ではなく湧き水をためた水鉢のようだ。
昭和58年発刊の「長野市の石造文化財」には、側面に馬頭観音と刻まれた立派な水鉢の写真がでている。

昭和の初めに自動車が通れる七曲りが整備されて旧道は使われなくなったが、地元の人がこの案内板を作成して、馬頭観音の水鉢を大事にしていたということでしょう。

――2月にこの馬頭観音の水鉢を見にいった。☆印が案内板の場所。
まずは善光寺から湯福神社、長野西校の脇を抜けて坂道を進む。
スノーシェッドは交通量が多く、歩くと危ないので、ガードレールの外側を歩いて進んだ。
入り口から少し進むと進行方向右手、山側の岸壁に東大地震研究所と如意輪観音がある。薄暗いシェッドの中で、光が観音像にあたり神々しく見える。
先に進むと左手に車が通れる未舗装の道が出てくるので、七曲りのスノーシェッドから外れてそちらを進む。
右手に苔むした石造物と五輪塔。

途中に水道関連の設備がいくつかある。
さらに進むと、聖観音の石仏と土に埋もれた水鉢があった。
ただ、何だか写真の水鉢と違う。側面にも馬頭観音と刻まれいないし、そもそも形が違う。

その後も周辺をウロウロするが見当たらず、どこにあるのか分からない。旧道から七曲りの県道にもどり、スノーシェッドの出口過ぎまで行く。案内板の左手脇に地蔵と聖観音。
少し山の中なので、管理が難しくて湯福神社に納めたのかもと思い、帰りに寄るも水鉢は見当たらなかった。
「長野市の石造文化財(昭和58年刊)」「芋井の石造文化財(平成19年刊)」に掲載されている馬頭観音の水鉢はどこにあるのでしょう・・・。