戸隠表山三十三窟とは、戸隠山周辺にある窟でかつて修験者が修行していた。第一番目の本窟から三十三番目の大多和窟まであり、石祠などが納められている。
戸隠神社奥社の本窟と、九頭龍社の龍窟の2窟は建物に覆われて見れないが、残りの31窟は山の中にある。ただ、訪れる人も少なく、道が途絶えて久しい。
三十三窟への道は藪に覆われているため、残雪期に行った方が藪がなく地形の見通しもよい。前回に続いて、まずは遠くから見ると三角形の洞穴がある岩壁へ向かう。
三角形の洞穴
今回はロープ持って、草付きに抜けそうなイボイノシシ2本で支点取って、あと5mほどのとこまで登ったが、上部を見ると下降の支点が取れなそうで途中でやめた。内部に石祠や信仰の遺構的な何かがありそうで気になるが、また次回に持ち越し。
その後は、三十三窟である東窟の方へ進む。
近くにちょっとした岩陰があった。写真で見る限りでは何もなさそう。
東窟
ここは大事な窟で弘法の護摩所ともいうらしい。
窟内には石祠が2基と弘法大師像がある。
昭和16年の石祠。正面に薬師如来と刻まれているはずだけど読めず。
弘法の護摩所での山籠もりでは、どんな感じか――、
「長野(長野郷土史研究会)」に天保十一年(1840)義賢行者の参篭(さんろう)の話が出てた。紀州の義賢行者が弘法の護摩所に不動尊を納めて、三七日(21日間?)参篭した後、越中立山へ向かったということが戸隠神社の「雑宝記」あるとのこと。
一段下にある窟内には水が溜まった場所。赤水というらしい。
日中窟・鷲窟・金窟
裏に回ると、こちら側にも窟がある。石祠などはなし。
中窟
東窟のある岩場から大岩壁の基部をたどって行くとある。
何だか場所がはっきりしないし、洞穴、岩陰でもないが、おそらくここであろう。何もなし。
その後は適当に沢を下りる。
大きな岩。少し基部がえぐれていたが、特に何もなし。
もう少し下降したところにも、雰囲気のある岩場。でも特に何もなし。
あとは沢をたどって下山。
これで、戸隠の石造文化財の本に出ている三十三窟だと、17窟/31窟巡り中。