2020年11月14日土曜日

三層窟と天岩屋の考察①

戸隠表山三十三窟の中に三層窟というのがある。

三層窟というからには、窟が三層になっている窟と思われるが、窟の名称は時代とともに変化したりして、令和の時代にどの窟がどれかというのを同定するのは難しい。

三十三窟に一定の見解を示している戸隠村の石造文化財(2004年)では、やはり窟が層状に三段になっている窟を三層窟としている。写真でこんな感じ。


この三層の窟内には、中段に散乱した石祠が3基、右側の岩壁の中ほどに天照大御神と刻まれた石祠が1基ある。

戸隠―総合学術調査報告 (1971年)では、この他に中央の高い岩棚に虚空蔵尊の石祠があるので虚空蔵窟として掲載されているが、この石祠は今は失われている。


他の窟に比べたら石祠はたくさん残されている窟ではあるが、やはりどんな窟で何なのかーというのは決め手はないが、先日、長野市の公文書館で見てた資料とちょっとつじつまが合いそうな記載があった。

江戸末期から明治初期にかけて、荒廃していた戸隠表山三十三窟の再興に取り組んだ野池久左衛門の一派の明治8年の資料で、十四窟分の名称、祭神などが書かれている。

その中に――、

 第三 三層窟 祭神 高皇産霊神、天之御中主神、神皇産霊神
 第四 天岩屋 祭神 天照大御神
 但しこの岩屋は行くのは難しいから、三層窟から拝む的な・・・

とある。

ちょっと古文書の読解には知識不足で意味があっているのか、よく分からないが。。でも三層窟は祭神が三で、石祠も3基あり、右の岩棚に天照大御神の石祠があるので、天岩屋には行けないのでこの三層窟から拝み、石祠もここに置いたということで合ってそうな。。

また天照大御神の石祠の延長上の岩場の中腹には岩穴らしきものがある。 



戸隠―総合学術調査報告 (1971年)の記載では、かつて虚空蔵尊の石祠があったとあるが、昭和17年に姫野師が置いた石祠と思われる。天照大御神の石祠も姫野師が置いた同型のように見えるが、姫野師の石祠は屋根と塔身が一体となっており、細かい点で違う感じ。

【天照大御神の石祠】屋根と塔身は別々なので姫野師の石祠ではない感じ。




【姫野師らの石祠】どの祠も屋根と塔身は一体で、台石も滑らか。(写真は昭和17年に設置の大窟殿の石祠)




ちなみ姫野師が置いた石祠の窟名と祭神の名前が書かれた本によると、虚空蔵窟(虚空蔵菩薩)窟内三重なり と記載されており、三十三窟の再興にあたり、野池久左衛門の一派の資料を参考にしたのではなく、それぞれが独自の解釈でこの三層の窟を探し、それぞれの石祠を置いたと思われる。

三層窟と天岩屋の考察② → こちら