ルート:戸隠牧場5:35-高妻山8:55-乙妻山-1700m岩壁11:00高妻山-戸隠牧場18:10
メンバー:1名
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裾花川地獄谷の支流で「大澤通り」の痕跡を探しへ。
「大澤通り」は、江戸末期に佛心という修験者が高妻山の山頂に神鏡を奉納し、三十三回の入峯修行をしたという修験者の道。
どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、高妻山の先の「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。→千丈滝・大澤通りについて
どこを通っていたのかは、はっきりしていないが、佛心が残した「回峯行場絵図(1862)」では、高妻山の裾を巡って「大日拝礼」で山のような「大日如来」を拝礼して、高妻山の先の「虚空蔵前立」へ抜けるような道となっている。→千丈滝・大澤通りについて
「虚空蔵前立」が今のどこなのか分からないので――、
①乙妻山の西側2044mピーク
②今の乙妻山(虚空蔵の石祠あり)
を「虚空蔵前立」を予想して、周辺の岩場に窟や拝礼岩のような大岩、山が「大日如来」に見えないかを探りに行った。今回は、乙妻山の西側2044mピークの緑円の周辺を散策。
途中に大岩があって、穴もあったけど自然な岩穴で何もなし。
右の滝。雪の下にも続いていて15m以上はありそう。
仕方ないので戻る。また乙妻山、高妻山まで登り返す。せっかくなので、高妻山山頂の傍らにある青銅鏡をよく見てきた。
乙妻山は遠いし、何も見当たらないし。。
この青銅鏡は・・・、
文久2年(1862)に修験者 佛心らが奉納したもので、高さは2m以上、重さ40㎏以上あるとのこと。佛心の他、支援者であろう人々の名前と村の名前、鋳物師名や執筆者名なども刻まれていて、すごくお金もかかってそう。
手前にある石祠は延享二年(1745)、手洗鉢は寛永八年(1631)とのこと。手前の割れた手洗鉢はすごく古い。。
文久2年(1862)に修験者 佛心らが奉納したもので、高さは2m以上、重さ40㎏以上あるとのこと。佛心の他、支援者であろう人々の名前と村の名前、鋳物師名や執筆者名なども刻まれていて、すごくお金もかかってそう。
手前にある石祠は延享二年(1745)、手洗鉢は寛永八年(1631)とのこと。手前の割れた手洗鉢はすごく古い。。
乙妻山は遠いし、何も見当たらないし。。