大室古墳群は、総数約500基の古墳群で学術的には超有名だけど、長野市民にはほとんど認知されていない。
長野市は整備事業を行っているが、大室谷がメインであとは風化の一途に見える。
北山、大室谷、霞城、北谷、金井山の5つの支群に分かれており、霞城支群(かじょうしぐん)をちょっと散策。ちなみに付近は松林か雑木林で草が多い茂り、散策するなら冬から春先の方がよい。
霞城支群は、栗林調査で16基となっているが、1981年調査で確認できたのは13基とのこと。その記録「長野・大室古墳群 分布調査報告書」を参考に歩いているが、素人目には13期とも墳丘とは見えず、特に目印がないものは古墳番号を同定するのは厳しいと思われる。。
道を歩いていくと、道をふさぐように平らな石と両脇に小石がある。
道に沿って平石が縦に突き出ている。どこかの石室のものか。。
254号古墳。ケヤキのふもとにあり。
別角度から平石。259号古墳の備考欄にある「側壁1枚露出。横に使ってあり。付近に2枚」の記載のものか?
260号古墳。小石が散らばっているだけで、石室分からず。
看板がないが、箱型石室っぽく、縦に平石が1mほどの幅である。261号古墳だろう。
箱型石室手前。石積がある。土石混合の263号古墳か?看板なし。
もっと資料か写真がないと、これだけでは、どれがどれだか分からない。
古墳かどうかの判定は、石積み墳丘が特徴の大室古墳群では、
・石室がある、または石室の石材が周囲に見られる
・高まり(墳丘)周辺を掘り、墳丘の範囲が分かるような構造が見られる(岩が並んでいるなど)
・埴輪など、何か出土する
などがあるようだが、この辺はどう判断したんでしょうか。
1981年の分布調査報告書に、「30年前の栗林先生の資料と現在の照合はまことに困難な仕事・・・」と書いてあるが、そこからまた40年たって誰か分かるのでしょうか。