七曲りの旧道にあるとされている馬頭観音の水鉢。道路わきに案内板も出ているが、現状ではどこにも見当たらない。(→七曲りの馬頭観音についての経緯はこちら)
いつ頃まであったのか?
「長野市の石造文化財(昭和58年刊)」「芋井の石造文化財(平成19年刊)」に水鉢の写真が掲載されているが、写真が同じなので、平成19年頃まで水鉢があったという訳ではなさそう。
「戸隠古道を歩く(平成14年刊)」にも水鉢の話が出てくる。本によると、
七曲りを長野(善光寺)側から進入し、カーブを3回曲がったところの林道を進み、
石仏を見ながら奥へ進むと、やがて崩落箇所となり、そこで道はなくなる。
その崩落箇所の近くに石仏2基と看板があり、その写真が掲載されている。
写真の看板は水鉢の説明板で、この横に水鉢があったのでは?と思えるが、
本文中にはなぜか、かつてはこの辺りに水鉢もあったと過去形で書かれている。
そうすると、馬頭観音の水鉢は昭和58年~平成14年の間に失われてしまったのか。
「長野市の石造文化財(昭和58年刊)」「芋井の石造文化財(平成19年刊)」には鍋石・笹峯として24基の石造物が一覧となっており、場所を示す地図もついているが、表の灰色にした6基は2021年4月時点では見当たらないか、未確認。
馬頭観音の水鉢(No.20)は場所を間違えているのか、地図の場所にはない。周りの石造物との位置関係で考えると、如意輪観音(No.8)、馬頭観音(No.9)より奥側、聖観音(No.7)より山側、写真の2基の聖観音(No.10)、聖観音(No.11)の近くとなる。
実際に現地へ行くと、七曲りを長野(善光寺)側から歩きはじめ、カーブを3回曲がったところから県道をはずれ、倒木と藪で覆われた道を進むと白い軽トラが放置されている。
その先の山側に馬頭観音(No.9)、すぐ先に如意輪観音(No.8)がある。
その先は崩落箇所。この辺りは聖観音(No.7)より山側になるので、目的地を思われる。――が、結局、写真の2基の聖観音(No.10)、聖観音(No.11)も馬頭観音の水鉢の説明板も分からなかった。土砂に埋もれてしまったのか。
ところで鍋石・笹峯の24基の石造物一覧で、七曲りの新道開通に伴い、移設された石造物が5基ある。何度もこの道を通過しているのに全く気が付かなかったが、スノーシェッドを抜けた右手の崖上にある。ここに置くっていうのはすごいな。
No.14-18で左から、馬頭観音、聖観音、馬頭観音、地蔵、馬頭観音となる。
七曲りの途中の一本松にしても、スノーシェッドを吹き抜けにして切り倒さずにしたこと、馬頭観音の水鉢の案内板があることなど、道路を整備してもかつてのものを大事にしていたことがよく分かる。
馬頭観音の水鉢が失われているのが本当に残念。
馬頭観音の水鉢が失われているのが本当に残念。
続き(→七曲りの馬頭観音はどこに③)