戸隠表山三十三窟とは、戸隠山周辺に分布している岩陰、岩屋、洞穴でかつて修験者が修行したところ。第一番目の本窟(戸隠神社奥社)から三十三番目の大多和窟まであり、石祠などが納められている。
戸隠神社奥社の本窟と、九頭龍社の龍窟は建物に覆われて窟は見れないが、残りの31の窟は山の中で見られる。詳しくは「戸隠村の石造文化財(2004)」という本に載っている。(→戸隠表山三十三窟についてはこちら)
戸隠神社奥社の本窟と、九頭龍社の龍窟は建物に覆われて窟は見れないが、残りの31の窟は山の中で見られる。詳しくは「戸隠村の石造文化財(2004)」という本に載っている。(→戸隠表山三十三窟についてはこちら)
ルート:鏡池5:30-不動窟(不動明王摩崖仏)6:15-軍陀利窟-金剛窟-大威徳窟、降三世窟、帝釈天窟-不動沢-西岳登山口11:45
メンバー:1名
メンバー:1名
当初の予定は、戸隠牧場から裾花川に下降して、滝を探しに――
と考えていたが、戸隠牧場の駐車場が日の出前なのにすでに満車。仕方がないので、戸隠表山三十三窟の散策に予定変更。戸隠山の登山道沿いにある西窟、五十間長屋、百間長屋は行ったことがあるが、窟ってどんなのかな~。
不動窟(第十番)
鏡池から60分ほどの不動明王摩崖仏のところにある。案内板もあり、道も草が刈ってあり、熊だけが心配。
道に沿って登って下ると、正面に黒い岩場が見えてくる。この岩に不動明王像が彫られている。思っていた以上に大きく、一人だと何だか少し怖い。
不動窟は不動の左側にあったらしいが、岩の崩落のためか、確認できないとのこと。
不動のすぐ上に6mのスラブ滝がある。「戸隠山顕光寺流記」には、「第十不動ノ窟 高さ百丈三重瀧有り常に・・・」と書いてある。この滝のこと?
軍陀利窟(第十二番)
沢を横切ると岩の基部に窟がある。
石祠が1基、かがまないと岩に頭がぶつかる。
金剛窟(第十四番)
石祠あり。軍陀利窟から3分くらい。天井低い。
大威徳窟(第十三番)、降三世窟(第十一番)、帝釈天窟(第十六番)
戸隠山の登山道途中にある百間長屋に似ている。窟を3つ分けるらしい。
一番西側の窟は降三世窟。「戸隠村の石造文化財」の写真と比べると、「本心明神」と書かれている石板が折れてしまっている。
この「本心明神」とは…
修験者の本心行者(田原本心)のことらしい。文久年間(1861-64年)頃、三十三窟の再興を志して修験者の野池久左ヱ門とで、この窟を拠点に活動をしていたそうで、本心行者は志半ばで亡くなったのちも野池久左ヱ門が跡を継いで活動したので、このあたりの石祠には野池久左ヱ門の名が刻まれたものが多く残されている様子。
修験者の本心行者(田原本心)のことらしい。文久年間(1861-64年)頃、三十三窟の再興を志して修験者の野池久左ヱ門とで、この窟を拠点に活動をしていたそうで、本心行者は志半ばで亡くなったのちも野池久左ヱ門が跡を継いで活動したので、このあたりの石祠には野池久左ヱ門の名が刻まれたものが多く残されている様子。
その隣は、大威徳窟。
帝釈天窟。薄暗く、苔に覆われている。
右端が帝釈天窟で、東側(写真手前)にもう一基石祠がある。
その後はトラバースしながら、いくつか尾根を乗越すと、写真ではわかりずらいが、鏡池からも見える大岩壁にでる。
さらに乗越と、不動沢の手前の枝沢を沢登りで来た時にも見た岩壁。これも鏡池から見える。
—が、途中で大窟殿(第五番)、大多和窟第三十三)へのルートが分からなくなり、仕方なく適当に沢を下り、不動沢へ出て、西岳登山口へと下山、鏡池にもどる。
鏡池からは戸隠山全体がよく見渡せる。歩いた周辺の岩壁。
写真の四角は今日横切った岩壁。なので、たどったルートはこんな感じだろうか。。
窟はほとんどだれも訪れていなさそうだったけど、こういうところは戸隠の大事な文化財だし、人知れずひっそりというのが、あり方としていいのかな。ただ、いつの間にか崩落して場所すらわかりません…となると残念だけど。